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羽生結弦の引退時期はいつ?ミラノ五輪後はコーチになる?

羽生結弦 引退 ミラノ&コルティナ五輪  コーチ
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北京五輪が終わったら、羽生選手は引退してしまうのか?と心配な方もいたと思います。

北京五輪ではメダルを取ることができず、3連覇とはなりませんでした。

4回転アクセルは完成とはなりませんでしたが、初めの4回転アクセルと認定をもらうことができました。

そんな中、羽生選手は五輪後に記者会見を開き、現在の気持ちを語りました。

会見では「引退」の文字はどこにもなく、次の五輪の話まで出てきて、多くの方が驚き、とても嬉しかったに違いありません。

ちょっと気が早いですが、引退は北京後ではなくて、次の五輪後ではないでしょうか?

羽生結弦の引退時期はいつ?ミラノ&コルティナ五輪後はコーチになる?についてお届けします。

 

羽生結弦の引退時期はいつ?

 

羽生選手は1994年12月7日生まれで現在27歳です。

高橋大輔選手は28歳で一度引退し、また32歳で現役に復帰されたので、羽生選手もまだまだ大丈夫なのかもと期待があります。

引退時期はいつなのかを考えたときに、北京五輪と4回転アクセルの結果から、どう判断するのかについて紹介します。

 

全日本選手権で羽生選手の口から出た言葉

全日本選手権のフリーの試合前の6分間練習の時の話です。

演技を終えた後のテレビインタビューで、羽生選手は

「もうなんか正直6分間練習前から泣きそうで。あと何回こういう景色が見られるだろうとか、今まで頑張ってきたこととか、いろんなことを思い出して。

かなり苦しかったのでほっとしています」

あと何回この景色が見られるだろう・・・ということは、残り少ないということではないですか?

想像しただけで寂しいですが、自分の思い描いている事への成功の兆しがあるからではないかと思います。

 

北京五輪代表

全日本選手権が終わるまでは、羽生選手は北京オリンピックの出場しても3連覇は目指していないと名言していました。

目指すはオリンピックの4回転アクセルの成功・・・と思っていました。

しかし全日本選手権で圧倒的な強さで優勝し、北京五輪の代表が決まり、代表のジャージを着た瞬間から、気持ちが変わりました。

目指すは金メダル、五輪3連覇、4回転アクセル成功に向かって、闘志がメラメラ燃えだしたようです。

応援してくれる皆さんが望んでくれるなら、僕は期待に応えたいと、目標が明確になり、北京五輪に向けてスタートを切りました。

 

怪我の影響

今季は11月4日に右足の靱帯損傷が発表され、怪我の影響で、グランプリシリーズの一つであるNHK杯に出場できず、その後のロシア杯も欠場しました。

羽生選手は2021年11月4日にコメントを発表しました。

「NHK 杯にむけて全力で取り組んできましたが、たった一度の転倒で、怪我をしてしまい、とても悔しく思っています。今は少しでも早く、氷上に立つことを目指し、痛みをコントロールしながら氷上でのリハビリをし、競技レベルに戻るまでの期間をなるべく短くできるように、努力していきます。皆さまの応援の力をいただきながら、さらに進化できるように、頑張ります」

 

なんとか怪我を克服して出場した2021年12月26日の全日本選手権では、圧巻の演技となり、北京五輪出場の資格を得ました。

試合後も痛み止めは常時使っていて、すでに怪我をすることが癖になっている足をいたわりながら、向き合って練習を重ねていました。

 

4回転アクセルの完成度は?

 

2021年8月のドリームオンアイスで4回転アクセル完成まであと少しと言っていました。

全日本選手権の公式練習でも果敢にトライしていました。

 

筋肉も強化し、以前にも増してムキムキの太もも、ムキムキの腕となり、体幹を鍛えてきました。

ジャンプの飛び方を変え、あと一歩のところまできていますが、挑戦と怪我は紙一重で、挑戦には怪我がつきものです。

すでに足首にはかなりの負担がかかっているはずですが、練習を止めるわけにはいきません。

 

北京五輪本番

北京五輪でも公開練習から挑んでいてまだ成功にはいたっていない状況でした。

本番の朝の練習では、4回転アクセルは一度も練習することはなく、本番にかけているように感じました。

荒川静香さんは「本番では気持ちの高ぶりもあり、跳べる可能性もある」と、期待していました。

本番直前の6分間練習でも転倒が続きました。

 

そして本番・・・転倒はありましたが、ISUがはじめての「4回転アクセルと認定」され、4回転アクセルでの転倒という評価となりました。

 

ショートプログラムでは、氷の穴にひっかかり、まさかの転倒がありました。

フリーでは4回転アクセル転倒後、さらに4回転サルコーでも転倒し、点数が伸びず、4位の成績となりました。

 

試合直後のインタビュー

海外メディアから「今後も滑り続けるますか?」の質問に対し、

正直全部出し切った、あれが僕のすべてです。

少し考えたい。アクセル完成への挑戦について、もうちょっと時間をください。それくらい、それくらい、今回やりきっています

 

松岡修造さんとのインタビューでは涙

はじめて人前で涙を見せた羽生選手でした。

松岡修造:「これからも4回転アクセル応援していいのかな?」

羽生選手:「まだわからないです・・・」

 

右足の怪我


やはり怪我は治っていない状態で、強い痛み止めを使い、感覚をなくした状態で演技をしていました。

こんな状態で4回転アクセルの練習をし続けていました。

本番朝の練習で4回転アクセルをしなかったのも、ひどい痛みだったため、右足を休ませていたようです。

ぎりぎりの状態で戦っていたのですね。

 

記者会見

羽生選手が記者会見を行うというニュースが流れ、ついに引退発表ではないかとざわつきました。

会見の目的は、取材が殺到しており、密を回避するために、広い会場で一堂に会して会見を行うことを羽生選手が承諾したという事でした。

 

会見の様子

 

 

スーパースターを再認識

こんなに人が溢れるような会見は過去にありません。

世界中から人気が高く、最大のスーパースターだと再認識しました。

 

 

今後の4回転への挑戦について

まだ自分の中でまとまってはいないです。

不運のショート、怪我で痛み止めを使っての演技など、色々な気持ちが渦巻いた結果としてアドレナリンが出て自分の中でも最高のアクセルができたと思っています。

ジャンプとしての最高点には僕は辿り着けたと思っていますし、回転の判定も色々ありますが、僕の中では納得しています。

満足した4回転半だったと思っています。

 

挑戦とは?

守ることだって挑戦だと思います。大変なんですよ、守るって。何かしらの犠牲や時間が必要だったりしますし。

だから何一つ挑戦じゃないことなんて存在してないんじゃないかな。それが僕にとって4回転アクセルでこのオリンピックに繋がっていて、ただそれだけだったかなと。

 

これからのモチベーションは?

これからどうなるのかはまだ分からないんですが、今の気持ちとしてはあれが転倒だったとしても、いつか見返した時に「羽生結弦のアクセルは軸が細くてジャンプが高くて綺麗だね」と思える、誇れるアクセルだったと思っています。

 

このオリンピックが最後ですか?

 

自分のゴールは何ですか?

4回転半を降りたいという気持ちは少なからずあって、それと共に自分のプログラムを完成させたいなという気持ちはあります。

ただ自分のアクセルは完成しちゃったんじゃないかなと思う自分もいます。

これからも羽生結弦として大好きなフィギュアスケートを大切にしながら極めていけたらいいなと思っています。

五輪王者ではなくなったことをどう思うか

とても重かったし、重かったからこそ自分が目指している4回転アクセルを常に探求できたなと思っています。

3連覇は消えてしまったしその重圧からは解放されたかもしれないですが、僕はやっぱりオリンピック王者だし2連覇した人間だし、それは誇りを持って胸を張ってこれからも過ごしていきたいなと思っています。

 

お辞儀が尊くて話題

 

羽生選手は、常に感謝の気持ちを持って生きています。

このお辞儀にはたくさんの人への感謝の気持ちが溢れています。

 

レジェンド内村航平選手の影響

 

すべて勝ち取ってきた体操の内村航平選手ですが、東京五輪では夢を叶えられず、諦めらきれず現役を続行してきました。

しかしついに「世界一の練習ができなくなった」事が理由で引退を発表しました。

内村選手を尊敬し、刺激を受けている羽生選手も、4回転アクセルを降りるまでは追求し続け、練習ができる限りは引退はしないのはないかと思いました。

今回の4回転アクセルは、認定され成功となりましたが、もっと完璧な4Aを跳びたいという思いもあるでしょう。

次のオリンピックも出てみたいという希望もありました、守るものから解放されて、のびのびスケートをしている方ができることもあると思います。

それは怪我との戦いでもあり、足の寿命が長いことを祈るしかありません。

 

新たな気持ちで再出発

北京五輪から4ヶ月後、「また4Aの練習をして、みなさんの前で降りたい」という力強い宣言を聞くことができました。

今度こそ、試合の勝ち負けにこだわること無く、プレッシャーや日本の期待を背負うことも無く、自分のペースでやり遂げてもらいたいです。

引退はまだせず、ゆったりペースで楽しみながらスケート人生を送ってもらいたいですね。

 

羽生結弦はミラノ&コルティナ五輪後コーチになる?

 

羽生選手が北京オリンピックに出場して、3連覇とはなりませんでしたが、4回転アクセルは認定されした。

記者会見もあり、北京五輪後の引退はないことがわかり安心しました。

もしこの先、引退となれば、その後は何をされるのでしょうか?いろいろな可能性について考察しました。

 

コーチになる

 

この4Aは、カナダのクリケットクラブにいた時の映像なので、2年近くまえではないかと思います。

ハーネスをつけていますが、これが正真正銘の4Aで、凄く綺麗に回っていて感激しました。

これは羽生選手にコーチがついていたから出来たことで、日本で1人の練習では、ハーネスを使った練習はできていません。

羽生選手の場合はコーチというより指導者という言葉が似合います。

日本には国際的な指導者がいないので、世界の上位を目指す国内の選手は海外のコーチを求めて国内から出ていきます。

羽生選手がそうでした。

羽生選手は、国内にいながら、世界一となるべき選手を育てる指導者になると思います。

さらにそれだけにとどまらず、金メダリスト養成ができるよう、フィギュアスケートのためのすべての設備が整った施設などを作るのではないかと想像しています。

スポーツジムやグランドなども整備され、陸上でもリンク上でもトレーニングができる場所です。

そこでは、メンタルトレーニング、イメージとレーニングなど、アスリートに必要なあらゆるトレーニングができるでしょう。

小さい子供から、世界一流の選手まで使えるような夢の施設になるかもしれません。

 

AI得点機を開発し、正しいジャンプと正しい採点を指導する

 

羽生選手はこれまで、人が行う採点により散々苦しい思いをしてきました。

実際に点数がなぜか盛られる選手と、非常に厳しく採点される選手がいるのです。

人の目の限界や、策略、感情が支配してきた採点では、フィギュアスケートは現代社会から取り残されてしまいます。

早稲田大学の卒業論文はモーションキャプチャーの研究でしたし、コンピューターによる正確な採点ができるシステム開発に貢献されると思います。

 

プロスケーターとしてアイスショーのプロデュースをする

 

プロスケーターとして、企画から運営までを取り仕切るエンターティメントの提供をされると思います。

平昌オチンピック後に、羽生選手がプロデュースしたアイスショー「Continues~with Wings~」がありました。

自分は怪我で少ししか滑ることができませんでしたが、尊敬するスケーターを招待して行った素晴らしいショーでした。

またあの時のような、羽生結弦プロデュースのアイスショーが開催されるのを期待しています。

 

タレント・コメンテーター

羽生選手は存在だけで視聴率が上がるので、テレビ番組に引っ張りだこになるのは間違いありませんが、専属のタレントやコメンテーターにはならないと思います。

羽生結弦にはスケートリンクが似合うので、活躍の場はそこでははいと思います。

 

フィギュアスケート以外のアスリートにも加担

羽生はスポーツ全体のアスリートの為に、自分の経験を役立てたいと言っていますので、メンタル面や筋力面など、あらゆるスポーツ選手への助言等もできる人になると思います。

 

羽生選手への希望

羽生選手は、自分の中でいまできる最高の4回転アクセルにたどり着きました。

自分の子供の頃の夢がかなった瞬間でした。

これまでやりたいことをすべて我慢して、諦めて、捨てて、人生をすべてフィギュアスケートに注ぎ込んできました。

マスコミの目もあり、常にイメージ通りの羽生選手でいなければいけませんでした。

練習拠点のカナダでも、観光地には一度も訪れたことがなく、遊びに行ったこともなく、練習場と家の行き来だけだったといいます。

フィギュアスケート以外のたくさんの経験をして、羽生選手ではなく、普通の青年、羽生結弦として楽に過ごしてもらいたい気持ちもあります。

 

まとめ

羽生結弦の引退時期はいつ?ミラノ&コルティナ五輪後はコーチになる?についてお届けしてきました。

オリンピックでは、3連覇とはなりませんでしたが、4回転アクセルは認定となりました。

2022年北京五輪後の引退はありません。

五輪は特別な場所であり、2026年のミラノ・コルティナ五輪にも出てみたいという発言もありました。

遠い将来いつか引退時期がきた時、コーチや指導者になると思いますが、普通の指導者ではなく、夢は壮大で、想像も付かないような事をやってくれるものと思います。

まずはゆっくり休んで、怪我をすっかり治しながら、今後のことを考えてもらいたいです。

羽生結弦選手が続ける限り、応援し続けたいと思います。