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豊田徳幸船長の家族構成は?経歴を顔画像付で紹介

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知床遊覧船のKAZU1の船長が豊田徳幸さんだったことが公表されました。

豊田船長も行方がわからず、どんな状況で事故が起こってしまったのか確認することは出来ません。

船長としてこのような大事故を起こしてしまい責任重大です。

豊田徳幸船長の奥さんや子供はどんな心痛でしょうか、家族構成が気になります。

これまでの船長として働いていたのかどうかの経歴やどんな方なのか、顔画像も知りたいです。

豊田徳幸船長の家族構成は?経歴も顔画像付で紹介と題してお届けします。

 

豊田徳幸船長の家族構成は?

豊田徳幸船長の奥さんや子供、家族構成について調べてみました。

Facebookに情報が出ていたのですが、現在は消されてしまっているようで真っ黒になっています。

行方不明になっているのに、一体誰が操作したのでしょう。

 

プロフィール

名前:豊田徳幸

生年月日:1967年5月27日 54歳

住所:北海道斜里町

出身:埼玉県蕨市

地元蕨市の中学校から、埼玉県立吉川高等学校へ進学しましたが、2年生で退学しています。

 

 

家族構成は?

あちこち仕事場を転々としていること、知床には家族が一緒についてきた形跡はないようです。

最初は家族についての情報はでていなくて、単身赴任か独身なのかはわかっていませんでしたが、マスコミが特定したようです。

やはり妻子はいるようで、埼玉に住んでいると噂になっています。

船長の自宅に出向き、玄関を蹴るなどの行動をしている人がいる事がニュースになりました。

マスコミだけではなく、野次馬も多く集まってきて、罵声を浴びせているという事です。

今回の遊覧船の浸水事故においては、豊田船長も被害者の1人であり、ご家族もさぞかし心配されていると思います。

個人情報の流出や、あまりに酷い行為に驚くばかりです。

Facebookも以前は情報が掲載されていたのですが、黒く塗りつぶされていたりと、誰かが操作している状態です。

ご家族が操作をしているのか、知床遊覧船の職員が操作しているのかは不明です。

 

豊田徳幸船長の経歴を顔画像付で紹介

豊田船長は知床に来たのは2年前ですが、それまでどのような仕事をしていたのか調べました。

 

豊田船長の経歴

 

10年以上大型トラックの運転手をしていました。

その後はハトバスの運転手をしていました。

2013年から2018年7月まで福島県や、富士五湖、島原市の観光ツアーなどあちこちの、水陸両用車のドライバーをしていました。

2018年8月~2020年6月:ワールドキャビンの貸し切り乗務員

2020年7月に知床遊覧船に入職しました。

現社長が直々に雇った人で、半年ほど甲板員として働き、その後すぐに船長となりました。

2020年12月には2人が契約解除となり、2021年3月には前船長を服務3人が契約解除となり、残ったのは豊田船長だけで、その他の職員が総入れ変えとなりました。

豊田船長はきちんとした指導をうけれおらず、あまり経験を積まないまま、重大な仕事を任される立場になっていました。

 

豊田船長の顔画像

仕事を転々をされてきた豊田船長ですが、大友康平似ですが、人相がかなり変わっていきました。

今までの仕事の中でも、知床遊覧船の仕事は、ブラックで辛かった可能性もあります。

 

船の操縦の技術

急に船長になってしまい、船の操縦は上手くできたのでしょうか?

豊田船長は、2021年6月には座礁事故を起こし、今年の1月には業務上過失往来危険の罪で書類送検されています。

そんなクズ船長をそのまま使っていたのか?との批判の声も上がっています。

しかし、事故を起こしたのは豊田船長ではなく別の人で、責任者を豊田船長にしていたか書類送検されたものという証言もあることから、何が真実なのかはわかっていません。

 

元同僚の証言

船の操縦は下手ではなかったが、知床の海の経験が1年しかないので、海には精通していなかったと話していました。

当日、天気が悪くなるから気をつけろと言ったら、天気が悪くなることを知らなかったようで、驚いていたとの証言もありました。

出航したときの波は30㎝だったそうですが、浸水したときは3メートル以上の波にになっていました。

知床の海や天気の見極めが未熟だった可能性があります。

 

別会社の社長の証言

船長が3名いた時期があったので、豊田船長のことではない可能性ありますが、運転技術は最低で、離岸着岸もできない感じで港の中でも他の船にぶつけたりもしていた。

船の乗組員たちは何の教育も受けていないため、ルールを無視することの方が多い会社だと思っていた。

 

昨年に船に乗ったお客の証言

豊田船長ではない別の船長の話かもしれませんが、大荒れの遊覧船にのり、波の高さが半端なくて、激しい揺れでとても怖い思いをしたそうです。

船内のアナウンスで「本日結構ギリギリのところで船を出しましたけれど、これ以上だったらもう戻っていました。

まぁ無事に帰ってこられたからよかったです」と言われて衝撃を受けたそうです。

録音もされていました。

船に乗る時ライフジャケット着用の指示はなかったそうです。

 

豊田船長の印象

 

強そうに見えるけどいい人で、言われたことを忠実に行う人だそうです。

以前の職場の同僚は、日頃から車両の点検はきちんとしていて、少しでも悪いところがあれば修理の依頼をしていた。

同僚に仕事を教えるときに厳しい面もあったが、勤務態度は真面目でリーダー的存在で無茶をする人ではないとのことでした。

社長に言われたことを誠実にこなすYESマンだったのかもしれません。

元船長らは前の社長との契約で、豊田船長だけが現社長との契約でした。

1人だけ契約解除になっていないので、契約内容が違うのではないかと、元船長が証言されていました。

1人だけ安い給料で使われていた可能性もありそうです。

自分の意見は通じず、社長の圧力に逆らえない人で、実は豊田船長も会社の犠牲者だったのかと擁護の意見もでています。

現時点では真相はわかっていません。

 

豊田船長の直前の業務内容

豊田船長の直前の仕事もわかってきました。

やるべきことはきちんとして、出航に向けた準備はされていたようです。

 

4月20日 船の検査の立ち会い

日本小型船舶検査機構札幌支部が船のハード面の検査を行い、船体、エンジン、救命設備の確認を行ったが異常はなかった。

15㎝の傷が話題になっているが、運行に影響があるものなら気がつくはずなので、指摘は受けなかった。

 

4月21日 午前 講習会に参加

網走海上保安署の発表では、午前中には天候急変時の対応についてなどの講習会が行われ、それに参加していた。

 

4月21日 午後 任意の検査の立ち会い

午後は年に1度行う任意の検査があり、GPSプロッターがはずされていたため、指摘を受けた。

設置義務はないので問題はなが、現在の位置や、浅瀬などを把握する装置であり、海の中の暗礁などもわかる機器であると便利な機器。

整備のために業者に預けていたため、再度27日に確認することになっていたが、事故当日に設置されていたかは不明。

経度、緯度がわかるので、もし遭難した際には、見つけてもらうにはとても役に立つ。

 

強行された出航

天気が悪くなるから出航を止めた別の船長もいたようですが、ハイと返事はしていたそうでした。

天気が荒れることはわかっていなかったようだという噂もあります。

社長に言われて、どうしても出航しなければならなかったのかもしれませんが、現在のところは、船長の判断ということにされています。

約2~3メートルの高波と風速16メートル以上で強風波浪注意報が出された中での運行。

途中で戻れればよかったのですが。

運転技術もそれほどなく、知床の海への精通もしていない状態で、一番恐ろしかったのは、豊田船長本人だったのかもしれません。

これまでも、天気が悪い時でも、他社が運行しないような悪天候の時でも、社長は船長に出航を強要していたと、町の漁業関係者が証言していました。

払い戻しをしないためには、一度出航させたら最後、途中で天候が急変しても、戻ってくるなとと指示をしていたそうです。

悪天候の出航は日常茶飯事だった可能性があります。

 

豊田船長も犠牲者なのかと擁護の声

 

 

 

安全協議の結果から他の会社はゴールデンウィークから運行開始することになっていたましたが、知床遊覧船の1社だけが今月23日から営業開始していました。

社長の指示であった可能性が高いです。

会社自体に船に精通した人もいないためか、船に腐食防止のため亜鉛板を取り替えていなかったという証言もありました。

知らなかったのか、会社から費用をケチられたのかはわかりません。

亜鉛板を取り替えないと、ボロボロになるので毎年交換する物ですが、今回の事故との因果関係はわかっていません。

 

まとめ

豊田徳幸船長の家族構成は?経歴も顔画像付で紹介と題してお届けしました。

豊田船長の家族構成では、奥さんや子供の存在はわかりませんでした。

単身赴任だったのか、独身なのか状況がわかりましたら追記します。

経歴については船長の経験はまだ浅く、知床の海にも精通していない状況で事故は起きてしまいました。

顔画像も紹介しましたが、怖そうだけと実はいい人との評判でした。

船長の責任は重いですが、社長に言われるがままに行動せざるを得なかった可能性もありそうです。